禅定寺の御仏−綴喜郡宇治田原町禅定寺− |
宇治田原に禅定寺という古刹がある。創建は正暦2(991)年、東大寺別当平崇上人である。寺名が集落の名称にもなるほど寺は栄え、藤原摂関家との間にも強いつながりがあった。宇治田原は古代の田原郷である。藤原摂関家領とともに、禅定寺が創建されると摂関家から広大なソマ山や墾田などの寄進を受け領有していたことが禅定寺田畠流記帳にみえる。11世紀後半頃には寺領を宇治平等院に寄進し、平等院を領家とし、摂関家を本所とする関係ができあがったようである。中世になると寺は衰退の一途を辿ったが、延宝8(1680)年、禅定寺の中興の祖とされ月舟禅師を迎え、伽藍は旧観に復したという。
禅定寺の本堂は葦葺き入母屋造りである。枯れた禅刹の雰囲気が漂う寺である。平等院の裏手の道から村に入ったが、田原川の水量は昔ほどなく、道路の拡幅や周辺開発も進んでおり、田原路にもはや「茅屋雲に架し、断橋水にのぞむ」(与謝蕪村)の観はもはや感じとることはできない。しかし、十一面観音、日光・月光菩薩、四天王、文殊菩薩騎獅像などの諸仏ではちきれんばかりの禅定寺収蔵庫の扉が開かれるとき、人々はプレ平等院ともいうべき藤原時代の香りを感じることであろう。蓮華茎の上に日輪、月輪を戴く日光・月光菩薩は十一面観音の脇侍。ともに2メートル余の御仏である。奈良の薬師寺の或いは興福寺東金堂の薬師三尊の両脇侍はいずれも銅像立像。東大寺法華堂のそれは塑像立像。禅定寺の日光・月光菩薩は木造一木造りの立像である。息苦しさがなく、やわらかな質感に清浄感がある。山門左手にみえる五輪塔(室町塔)もよい雰囲気がある。−平成20年3月− |
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