近畿風雲抄
奈良
佐保川−奈良市−
佐保川の岸のつかさの柴な刈りそねありつつも春し来らば立ち隠るがね   <万葉集 大伴坂上郎女>                         
佐保川 佐保大路は東大寺境内の北西辺の転害門から法華寺にいたる路。大路を挟む南北の地区一帯が佐保と呼ばれた平城京の故地。
 佐保は大伴一族が邸宅を構え、佐保川(左の写真は長慶橋付近)が流れる閑静なところであったようだ。坂上郎女は、・・・岸のつかさの柴な刈りそね・・・と詠うほどに、川辺の豊かな自然に郎女ならずとも佐保の乙女らがこの川に思いを託したことであろう。
 坂上郎女は大伴旅人の妹。家持の叔母にあたる人。坂上郎女も旅人もこの佐保に住まいし、一族が朝な夕なに眺めたであろう佐保川。いま、川の水量は少ない。坂上郎女が 「 千鳥鳴く佐保の川瀬のさざれ波やむ時もなし我が恋ふらくは 」(万葉集)と詠った佐保川をおもうことができない。
 大宰帥大伴旅人が任終えて、筑紫から奈良に帰京したのは天平2(730)年だった。大宰府で苦楽をともにした大伴郎女(いらつめ)を失った旅人。大納言となって佐保に帰還した旅人であったが、もはやこころに生じた空洞を埋めることはできなかった。ただただ涙にむせぶ日々であった。翌、天平3(731)年7月、旅人は薨去。梅の樹も佐保川も旅人の悲しみを増幅させる何ものでもなかったのだろう。
吾妹子が植えし梅の樹見る毎に心咽せつつ涙し流る
      (故郷の家に還りて作める歌 旅人 ) (万葉集) 

佐保川 転害門
佐保川 転害門
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