熊野点景(草葺き民家)−安芸郡熊野町− | ||||
中国山地から草葺き屋根の民家が消えて久しい。芸北の脊梁部や志和、向原甲田、大和などにわずかばかり草葺きの民家が点在するくらいで、本当に少なくなってしまった。改築を機会に屋根を赤瓦に葺き替えたり、ブリキ(亜鉛引き鉄板)等に葺き替えるところが多くなったのである。 特に、茅場の消えるのが早かった海岸部では、茅葺きの民家は壊滅の状態。屋根葺講やユイの存在が確認できないほど早くから消えており草屋根住宅の消亡に拍車をかけた。 少し内陸部ではどのようなものか。状況は似たようなものであるが、野呂山(標高839メートル)の北西に熊野というところがある。当地に僅かではあるが草葺きの民家が残っている。熊野は日本一の筆の生産地。草葺き屋根の方でも県下の主要地である。 この地方の草葺住宅は、棟が随分高い入母屋造り。あるお宅に伺い軒端を見上げると、小麦藁、稲藁の上に茅を重ね、最下部の下敷きにヨシヅを用い化粧がしてある。屋根の厚みは3尺ほどである。垂木にホコを蔓で結わえる気の配りようである。扇垂木の手法も大変美しく、軒周りは重厚である。茅は30年ほど使用に耐えるという。1代1回(の葺き替え)とはよく言ったものだ。 戦後間もない頃、熊野に70人の屋根屋職人がいたという。しかし今、屋根葺きの技術を伝承している者は僅か1人。四国などではもはや屋根葺き職人が消滅した。茅場の存在や技術継承者の存在が、熊野の草葺き屋根の存続を可能にしているのだろう。黒光りしたハサミなど屋根葺きの諸道具に職人の意地と誇りが凝縮しているようにみえる。「屋根屋は3K職場。後継者が育ちません。しかし、茶室など日本文化が消滅しない限り、仕事はあるはずです。」ときっぱり。そうした職人の意地によって日本伝統は維持されてきたし、今後もそうであると願いたい。−平成18年5月− |
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参考:
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