芸北の曲り屋−山県郡北広島町西八幡原字聖山−
芸北の曲り屋
 昭和32年、樽床ダムの湖底に沈んだ集落があった。半世紀が過ぎ、今も1棟の曲り屋が聖湖のほとりに当時の姿そのままに保存されている。中門造りといわれる民家は、茅葺、天明期(18世紀後半期)の建築。向かって右手に出っ張ったツノヤが付き
駄屋となっていて、牛馬の飼育や下肥の保管倉庫として使用された。
 住宅の突き出た部分を中門とよぶ。母屋の内部はオモテ、ナンドの2間に囲炉裏の板の間、土間と続く。囲炉裏の上部に火だな(写真右上)があげてある。雪深い越後などに類似のものがあり雪で濡れた生活用具などの乾燥に欠かせないものだ。外壁はなく縦張りの羽目板で囲ってある。桁行8間、梁間6間である。中門造りというより、曲り屋とよぶほうがわかりやすい。上から見ると住宅の平面がL字形になっていて、西日本では佐賀県などで見られる鈎造りの民家である。「芸北 自然館」にもう1棟曲り屋があるが、こちらは展示用に新築された曲り屋。実際に居住歴があるものはこの1棟のみという貴重な建物である。旧芸北町に残る草葺住宅は、この2棟のほか一文字造りの民家が4棟ほど残っている。
 民家の隣に芸北民俗博物館(写真上の右下はその内部)がある。雪深いこの地方の生活用具などが保存、展示されている。唐犂など農具に注目すべきものがある。犂の床部分が長いいわゆる長床犂である。江戸時代は鍬による農業が主流であり、犂は余り使われることはなかった。意外なものをみせていただいた。長床犂は牛馬が動力となり労働生産性が高く、畑の起耕や水持ちの悪い田の底土を塗り固めるのには便利な農具であったが、雑草の刈敷ができるほどの深耕に適さず反収があがらないため、鍬を使って人力による深耕が行われたのである。そこにはひたすら土地の生産性を求める地主層の願望が働いていたものとみられる。この時代、日本農業は、世界の農具の潮流とは反対方向に動くことになったのである。稲作に適した深耕が可能な犂の出現までにはなお時間を要したのである。県下では、久井町歴史民俗資料館の牛市跡記念館に犂などまとまった農具の展示がある。その他、この地方の特異な民俗を示す生活用具の展示がある。
 樽床ダムは三段峡の最上流部にあたる湖。三段峡の入口から十数キロの距離がある。枝分かれした谷を加算すると三段峡の総延長は一体どれほどになるのか想像もつかない。20キロではきくまい。この辺りには魅力的な峡谷が無尽蔵にある。−平成18年10月− 

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