風早の浦−東広島市安芸津町風早− | |||||||||||||||||||||||||
遣新羅使詠歌 吾が故に妹嘆くらし (万葉集 巻15 3615) 沖つ風いたく吹きせば吾妹子が嘆の霧に飽かましものを (万葉集 巻15 3616) |
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安芸津の三津湾の北西に 万葉集に、西暦736年(天平8年)、安部継麻呂を大使とする遣新羅使が風早に船泊した記録がある。そのとき詠った「風早浦に船伯てし夜作める歌2首」が万葉集に収録されている。難波を遠ざかるほどに募る不安に、ただただ妻への思慕を寄せる遣新羅使たちであった。 風早浦は、JR風早駅の一帯の呼称といわれる。眼下に海が迫る高台にJR呉線の駅がある。土地の人は、駅前の道路沿いに十数本の松並木があったと言い、懐かしむのだがいまは何も見当たらない。遣新羅使が往った湾上に、大芝島、龍王島、藍之島が千二百年余の歴史を飲み込んで鎮まっている。祝詞山八幡宮の境内に財満進氏制作の万葉陶壁や万葉歌碑が建っている。−平成18年5月− |
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